まるでみかんのように。私的なメモ

先日、ふと思いついた自分へのメッセージとしてメモを残しておきます。いきなりのみかん登場ですが、思考は予期せず唐突にやってきてしまいますのでご理解ください。私的なメモではありますが、ご興味いただいた方は是非読んでみてください。

仕事の時間、あるいはプライベートな時間、私にとっては両方とも生活の一部であり、思考も実態も常に連続した中で生活を送っています。坪井さん、お休みはいつですか?と聞かれることも少なくないのですが、平日、休日関係なく、私は仕事モードは常にONの状態ですし、休むときも完全にOFFにはできない性分なので適切にお答えするのはちょっと難しいです。それには理由もあって、この日々の切れない時間の連続性が私にとっては大切なものだと思うようになりました。詳しく説明する前に、このような文章でその表現を試みます。

「時間のもつ連続性(線)は空間(環)へと結びつき、その空間の大きさを知ることが、客観的な自分を映す鏡となる」

これだけでは何を言ってるかさっぱりですが(笑)、私自身が理解するためにも少しわかりやすくメモをすすめます。自分への客観性なのでまずは自分を中心に据えます。一般的に日々の生活は、仕事とプライベートは分かれていて、仕事でもいくつかの種類があり、プライベートでも細かく分かれているというイメージです。その場合は仕事でいくつかのプロジェクトがあれば、それぞれを分けて考えると思いますし、プライベートでも食事をする時間、趣味にかける時間、寝る時間は自分の中で違う時間として分けていく傾向です。そのどちらにも当てはまらない時間もあります、通勤時間、何かの準備をする時間、雑用などです。それを意識的に24時間に細分化し、序列にあてはめていくのが一日、一週間、一か月、一年、というのが暮らしのリズムです。その中身は人によって違いがありますが、現代に生きる私たちの生活は限られた「時間」の制約に常に縛られています。

もちろん、私自身の生活もこの時間の制約の中で行われています。ただ最近いろいろな生活の場面で、その都度考えている自分の思考が、実は横のつながりを持っていることに気が付きはじめました。どういうことかというと、時間で区切られた場面でそれぞれ対処していく場合は、その単独な行為に対し自分の思考はそれぞれ直線的に働きます。仕事、プライベート、その数が多ければ多いほど、自分を中心に目的毎に線が発生し、放射状に線が伸びていく。長い線もあれば、短い線もある、そのような図式ができます。線の数が増えることもあるし、減ることもある。減ったものは自分の役にたたなかった経験の線として消えてなくなります。ですから、目的へ結ぶ線を間違えると、それにかけた時間と経験が消え、またゼロ地点にもどってしまう。やることが多ければ多いほど、線も大きく伸びることにはつながりにくいような気がします。なぜなら、時間は限られているからです。

仮に、その線が横につながる場合はどうでしょう。横につながるイメージとは、自分を中心に放射状ではなく、扇形になるイメージが沸きます。長い線と短い線はその平均値として横へとつながり、全体のバランスをとろうとします。長い線は短い線を補い、お互いに補完関係が生まれます。するとそれぞれの線では見えなかった、「全体の形」がおぼろげながら見えてきます。扇形が緩やかな形の人もいれば、曲がりが大きな方もいる。扇形が広がれば、それは「環」へとつながります。その円の中には、時間に切れ目のない自分の経験から生まれた個性が詰まっているような気がします。環が3次元的に発展すれば、球体の空間を創り出します。立体である自分の形と大きさを知ることができれば、連続した時間の中でその形を育てていくことができるかもしれません。最近そんなことを思います。まるでみかんのようなふぞろいな形。腐ったミカンはない、金八先生の名台詞がふと頭に浮かびました。

この先の自分に役に立つのかわかりませんが、世の中全体や建築の出来上がる過程を見渡すと、カテゴリーの細分化が進む今の状況の中で、自身の思考と試行のタネになってくれることを願ってここに記します。

 

 

坪井当貴
建築設計事務所

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